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シャンパンにまつわるエピソードや歴史、シャンパーニュに合う素敵なレシピ、カクテルなどをご紹介。
シャンパーニュを発明、とまでいかなくても開発したのはドン・ペリニヨンということになってます。
そして、シャンパーニュの製造がいろいろな研究、工夫の結果確立され、シャンパーニュ独特の銘酒が造られるようになりました。
名声を得たシャンパーニュは、19世紀になるとヨーロッパ各国をはじめ、その他の地方にも輸出され、高名になるとともに相当な利潤をもたらす事になりました。
ところが、他人の利益を黙ってみている事が出来ず、さらに利益に預かろうとする者が現れるのはよくあることです。
シャンパーニュの酒商の一部がシャンパーニュ地方以外の安いワイン、主に南フランスのワインを買って、シャンパーニュに運び込み、ここで二次発酵をさせ、シャンパーニュとして売り出すものが現れました。
原料が安い上に、どうせこのような酒質は良くない、しかし値段は安い。ということで、このようなシャンパーニュが出回って、正規のシャンパーニュ業者が大いに迷惑を被りました。
そこでまともな業者が結束して政府に陳情を行いました。
粗悪なシャンパーニュの流通はまともなシャンパーニュ生産を駆逐すると、大いに政府に働きかけました。
その結果1908年12月に「デリミターション・ド・シャンパーニュ・ヴィティコール」というシャンパーニュ原産ブドウ栽培地区醸造限定規定の法律が発布されたのです。
これでようやくまがい商法のシャンパーニュはなくなるかと思いきや、今度は、シャンパーニュ限定地区以外からすでに発泡性ワインとして造られたものを買い入れ、これをシャンパーニュの酒倉で貯蔵してシャンパーニュとして売出し、巨額の利益をあげたのでした。
正規のブドウ栽培家、醸造家はついに悪徳業者に業を煮やし、政府の取締りの手ぬるさにも怒って、1910年10月9日、500人ほどの正規業者がダムレーに集まってデモを行いました。
さらに10月16日には1万人ほどの集団になってエペルネに集合、暴動騒ぎになりました。
悪徳業者の家や工場が各所で破壊された他、さらにシャンパーニュを飲んで酔った暴徒が便乗して放火、略奪をはじめる始末となり、軍隊が鎮圧に出動しましたが、騒ぎは翌年の4月頃までくすぶり続けました。
政府も1911年7月になって新しくデリミターション(区域の限定)を厳しく発布しましたが、あらゆる抜け道を封じた完全な法律になったのは、その30年後の1941年4月12日のことでした。
このシャンパーニュ原産地諸規定によって、シャンパーニュの呼称ができるのは、シャンパーニュの限定されたブドウ畑で規定されたブドウ品種を栽培し、シャンパーニュの限定地域内で醸造、貯蔵した発泡酒に限る、と明確に規定し、違反者は厳しく罰される事になりました。
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